8月3日から9日にかけて開催された原水爆禁止2013世界大会に、山梨民医連・民医労から今年も代表団を派遣しました。ワイエムピーからは、あすなろ甲府薬局事務の山本君が参加しましたので、報告させていただきます。
原水爆禁止世界大会in長崎に参加して―
私は残念ながら体調不良により原爆資料館にしか行けなかったので、でもずっと行きたかった場所でもあるのですごく充実した日になりました。
館内には原爆投下後の長崎の町の中の様子を写した写真や変形したビン、被爆した山モミジなどさまざまなものが展示されていました。あの1945年8月9日の11時2分を針指したまま止まってしまっている時計を見たとき、勝手にその時のことを想像して恐怖を感じ、その時計から目をそむけたくなりました。中でも、子どもがケガを負っている写真や子どもが赤ちゃんをおぶっている写真は1番印象に残っています。私にも今8ヶ月の子どもがいますので、子どもまで犠牲にしてしまった原爆は本当に残酷だなと改めて感じたと同時に、もしこの原爆が今起きたら果たして自分の子どもを守れるのだろうかと不安になりました。
死んだ赤ん坊をおぶっている子ども |
私たち若い世代にとって戦争って正直ピンと来ないと思います。しかし、資料館を通して戦争の悲惨さ、恐ろしさ、残酷さを痛感したと同時に、私たち若い世代もこの過去、事実を知らなければならないと思いました。特に、今の政府は危ない道へと走っています。2度とこのようなことは起こってはいけないと思うので、もっと自分自身戦争や平和について考えていかなければいけないと思いました。
資料館に行ったその夜、長崎を楽しめてなかったので、日本三大夜景の稲佐山を見に行ってその後時間があったので呑みに行きました。そこで、長崎の新聞記者の方と被爆者の孫いわゆる被爆3世の方とお話しすることができました。その新聞記者の方は佐世保の出身らしく、その方が言っていたのは「長崎県は当然1つの県だけど、佐世保には米軍の基地があるし、長崎は原爆が落とされている。それぞれ考え方も違うし長崎県には佐世保と長崎で2つ県があるみたい。」と言っていました。それを聞いたとき、私は複雑なんだなと思いながらも機会があれば佐世保と長崎の方いろんな方にお話を聞きたいなと思いました。被爆3世の方はまず最初に言った言葉が「山梨からわざわざ来ていただいて原爆のこと学んでいただいてほんとに嬉しいです。」と言っていました。なんか涙が出そうになりました。話を聞いていると被爆3世ではあるのにほんとに原爆のことを良く知っているし、自分の思いもしっかり持っていて、こんな立派な方が私と同じ世代なんだと考えたらほんとに恥ずかしくなりました。最後に被爆3世の方が、「稲佐山の夜景見てきたと思いますけど、見ていた景色は焼け野原だったんですよ。」と言われたときなんとも言えない気持ちになりました。あそこが焼け野原だったことは当然なんですけど、あのきれいな夜景を見ている私にとって彼の言葉は酔いながらもほんとに重苦しい気持ちになりました。
稲佐山の夜景 |
長崎平和の像 |
最後になりますが、残念ながら被爆者の方の貴重なお話を聞くことはできなかったのですが、私たちがその話を聞ける最後の世代だと私は思っています。被爆者の方の思いを伝えることで戦争と平和について考えることにつながると思うので、「聞いたこと、見たこと」を伝える、これからが始まりなんだなと思いました。2泊3日という長い期間、ちょっとつまずきましたけど、本当に実の詰まった時間でした。ありがとうございました。
(あすなろ甲府薬局 事務 山本昌太)
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