「2012年3・1ビキニデー日本原水協全国集会」が2月29日、3月1日の両日、静岡県焼津市で行われました。ビキニ事件というのは1954年3月1日、今から57年前に起こった事件です。1954年3月~5月、米国は南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁などで6回にわたり水爆実験が行われました。1回目の3月1日の爆発で、マグロ船「第五福竜丸」が「死の灰」(放射性降下物)をあび、全乗組員23人が被曝。半年後、無線長の久保山愛吉さんが急性放射能症で死去。この事件を機に日本国民は原水爆禁止へと大きな歴史の一歩を踏出しました。また原水爆禁止運動のうねりが世界に広がっていきました。
今回ビキニデー集会に参加し、ビキニ被爆者大石又七さんの体験の話を聞く事、知ることが出来ました。ビキニ事件は敗戦から9年後に起こったこと。その時、国の対応が広島・長崎で起きた出来事を隠していたこと。原爆とはどういうものか情報もなかった為、爆発時に発生する白粉「死の灰」を知らずに浴び、被爆していたということ。現在の情報社会では考えられないことが起こっていたことがわかりました。「ビキニ事件、3.11東日本大震災の福島原発が起こった時の政府の対応は57年たった今も変わらない。責任者が責任を取らないから、次に引継ぐ者も責任を取らない」という一言に重みを感じました。
今回、他県から参加している人達と交流がありました。雪で電車が走らなかったため、埼玉県から自家用車で参加した女性「高校の時に、ビキニデーに参加したが20歳になり社会人として社会に出る前にもう一度、その時感じた思いと一緒かを確かめたかった。やはり参加してよかった」との発言には胸を打たれました。今回一番に学んだことは「沈黙は賛成を意味する」。何事も間違っている、それはおかしいと思ったときは行動を起こさなくてはいけないのだと思いました。(事務K・T)
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