先日聞いた、「沈黙は賛成を意味する」この言葉を知った私は、「原発なくして!! 復興支援!! みんなの願い・・・3.11アルプスパレード」の集会があることを知って、3歳の娘と参加しました。特に小さな子どもたちには大きな障害をもたらすだろう放射能。私たちの日常生活の食糧などにも影響が出ています。集合場所に行くと、娘と同じような年頃の子がプラカードを持って参加していました。やはり、皆同じ思いをしていると感じました。
2012年3月15日木曜日
3・11 あれから一年・・・
忘れることのできない3月11日から一年。東日本大震災・福島第一原発事故で家族や友人を失った被災者の無念の思いは癒えず、厳しい避難生活が続いています。放射能汚染という目に見えない命と健康の危機、原発事故の危険は今なお存在しています。
先日聞いた、「沈黙は賛成を意味する」この言葉を知った私は、「原発なくして!! 復興支援!! みんなの願い・・・3.11アルプスパレード」の集会があることを知って、3歳の娘と参加しました。特に小さな子どもたちには大きな障害をもたらすだろう放射能。私たちの日常生活の食糧などにも影響が出ています。集合場所に行くと、娘と同じような年頃の子がプラカードを持って参加していました。やはり、皆同じ思いをしていると感じました。
あの日から一年。復興までの道のりは厳しいものです。チェルノブイリ、福島と、2度にわたり地域社会を崩壊させる大事故を起こした原発は、やはり不完全な技術と言わざるを得ません。私はこの原発事故の教訓から再びこのような悲惨で非人間的な事故被害を起こさないためには、老朽化したものや危険なものから止めていき、最終的にはなくすべきだと強く思いました。
先日聞いた、「沈黙は賛成を意味する」この言葉を知った私は、「原発なくして!! 復興支援!! みんなの願い・・・3.11アルプスパレード」の集会があることを知って、3歳の娘と参加しました。特に小さな子どもたちには大きな障害をもたらすだろう放射能。私たちの日常生活の食糧などにも影響が出ています。集合場所に行くと、娘と同じような年頃の子がプラカードを持って参加していました。やはり、皆同じ思いをしていると感じました。
2011年3月29日火曜日
東北関東大震災支援
3月22日から26日まで宮城民医連加盟の「坂総合病院」に震災支援に行ってきました。
山梨民医連では震災直後から医師・看護師などを派遣し、今回は第三次の支援団として派遣されました。メンバーは医師・看護師・PT・OT・MEなど10名です。
22日の早朝、現地への支援物資などをバスに積み込み宮城に向かいました。福島原発の放射能の影響を避け、東北道は使用せず、中央道から北陸道・山形道を経由する道のりでおよそ11時間かけ宮城に入りました。高速道路に地震による断裂(既に修復されていました)や、テレビのニュースで報道されていたような田畑に水が流れ込んだ震災の痕が至る所で見られました。病院近くの道路脇には路肩に寄せられた瓦礫、そのままになっている車両が何台も並んでいました。
発生から一週間以上が経過したこともあり、坂総合病院ではトリアージが終盤に入っており、到着した次の日には外来はほぼ通常の診療に移行していました。全国の民医連からの支援も100人以上が泊まり込み、地域の避難所訪問や、病院の通常業務への復帰を支援しました。
支援三日目の24日には近隣の文化ホール・中学校の避難所を訪問しました。長期の避難所への生活での健康状態の不安を訴える被災者の方に医師・看護師を中心として健康相談を行いました。その場で2~3日分の薬も処方されるのですが、医師から薬剤師に薬の効能や定期薬と同じ効能の薬について様々な質問がされ、改めて薬剤師が薬剤の専門家として医師から信頼を寄せられていると感じました。
午後に訪問した中学校の避難所では民医連からの支援に来た介護職員が鍋とガスコンロを使用した「足湯」を考案し、高齢者の方を中心に実施しました。この取り組みは次の日以降、他の避難所でも規模を拡大して行われたと聞いています。
病院と避難所への道を往復するだけでも道路に生じた亀裂や、浸水し使えなくなった車両の移送を目の当たりにして改めてこの震災の大きさを感じされられました。
今回の震災によって亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災されたすべての方にお見舞いを申し上げます。また、1日も早い復旧と皆さまのご健康を心よりお祈り申し上げます。
今後も全国の民医連から被災地への支援は継続されます。山梨民医連からも25日から30日まで第四次の支援が派遣されており、その後も当面4月一杯まで支援を派遣することが決まっています。長い支援活動になると思います。「被災者とともに、民医連はひとつ」を合言葉に頑張ってゆきたいと思います。
山梨民医連では震災直後から医師・看護師などを派遣し、今回は第三次の支援団として派遣されました。メンバーは医師・看護師・PT・OT・MEなど10名です。
22日の早朝、現地への支援物資などをバスに積み込み宮城に向かいました。福島原発の放射能の影響を避け、東北道は使用せず、中央道から北陸道・山形道を経由する道のりでおよそ11時間かけ宮城に入りました。高速道路に地震による断裂(既に修復されていました)や、テレビのニュースで報道されていたような田畑に水が流れ込んだ震災の痕が至る所で見られました。病院近くの道路脇には路肩に寄せられた瓦礫、そのままになっている車両が何台も並んでいました。
発生から一週間以上が経過したこともあり、坂総合病院ではトリアージが終盤に入っており、到着した次の日には外来はほぼ通常の診療に移行していました。全国の民医連からの支援も100人以上が泊まり込み、地域の避難所訪問や、病院の通常業務への復帰を支援しました。
午後に訪問した中学校の避難所では民医連からの支援に来た介護職員が鍋とガスコンロを使用した「足湯」を考案し、高齢者の方を中心に実施しました。この取り組みは次の日以降、他の避難所でも規模を拡大して行われたと聞いています。
病院と避難所への道を往復するだけでも道路に生じた亀裂や、浸水し使えなくなった車両の移送を目の当たりにして改めてこの震災の大きさを感じされられました。
今回の震災によって亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災されたすべての方にお見舞いを申し上げます。また、1日も早い復旧と皆さまのご健康を心よりお祈り申し上げます。
今後も全国の民医連から被災地への支援は継続されます。山梨民医連からも25日から30日まで第四次の支援が派遣されており、その後も当面4月一杯まで支援を派遣することが決まっています。長い支援活動になると思います。「被災者とともに、民医連はひとつ」を合言葉に頑張ってゆきたいと思います。
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