初めての広島ということもあり、様々な期待や若干の緊張がありました。毎年夏になると放送するテレビでの特集や、学校で学んできた原爆を投下された地という事実が重くのしかかり、学びきれるのだろうかという不安がありました。しかし、当時の方々の思いを少しでも感じ、それを発表の場で言えれば良いという思いで整理できました。実際行ってきたところ、やはり全てを理解するには至りませんでしたが、資料館や原爆ドーム、分科会での学習を通して、知識を得るとともに原爆によって亡くなった方々、怪我により長期に渡り苦しい思いを味わってきた多くの方々の辛く、ぶつけようのない思いなどを、僅かながらも感じることができたように思います。
広島での3日間は、とにかく暑かったです。バスから新幹線に乗り換えた名古屋との気温差に最初は驚かされました。そして、山梨ではまず見ることのない路面電車で感じる広島独特の雰囲気も相まって、来たんだなと実感が湧きました。世界大会での開会・閉会式の出席者の多さに驚き、また海外の方々の核廃絶に対する気持ちや、日本との関わりを大切にしてくれているという思いに嬉しく感じ、また日本人として原爆という事実を風化させてはならないという気持ちが強まりました。そして他の民医連職員の方のそれぞれの思いだったり閉会式での福島の学生の悲痛な思いに民医連職員ではなく、同じ日本に住む日本人として結束・団結し、世情を変えていかなければならないと感じました。
一日目の青年交流集会では、被爆者の中村さんが核の体験を話して下さり、当時の現状、凄惨さがとても伝わり、核の恐怖だったり、その後の回復に至るまでの困難さがよく理解できました。
分科会では、私が参加したのは、「核兵器廃絶とくらし」というもので、昨今の税の問題、TPP参加等の問題を踏まえつつ、投入を止めようとしない軍事費、思いやり予算などいまだに根付く戦争の影を学習し、各地の方々の暮らしを守る活動の中にある疑問、不安等を挙げ、議論していくといった内容でした。意見は子供の食から署名の集め方、若者に対する雇用対策など多岐に渡るもので、どれも大変考えさせられるものばかりでした。
その後の自由時間では、分科会で知り合った他の民医連の方と交流を深めつつ、一緒に原爆資料館、原爆ドームを回りました。式典が行われる6日の前日ということもあり、人が多く、館内は観て回るのが大変なほどでした。展示品の一つ一つは辛く、苦しい記録として残されており、それを写真や記憶に留め、平和の大切さを改めて実感し守っていかなければならないなと感じました。